そうそう,高校の頃そんなこともあったよ.って懐かしくなるので,たまに読み返したくなる小説.僕が高校生のころはこの小説の主人公たちのように真面目に物事に取り組んでなかったから,たとえば菊池みたいに熱くなることはなかったけど,いま思い返せば価値観の定まらない時代だったなと思う.
あれこれ興味の対象がかわり,友達,雑誌,メディアに勧められてはそれを素直に受け入れて,自分の好きなものを探していた時期.でもそれが今となってはいい思い出になっている.
小説の中でも前田が言っていたけど,高校生にとって学校は世界でそれが全て.僕も早くそのことに気づきたかった.
「この空のぶんだけ大地がある.世界はこんなに広いのに,僕らはこんなに狭い場所で何に怯えているんだろう」
朝井リョウ「桐島、部活やめるってよ」,集英社文庫 P.100
僕が高校生だったころはSNSなんてなくて,他の広い世界を知る術はあまりなかった.インターネットはあったけどそこに登場するのは主に有名な人たちの話題.今ではSNSもあって,その中でも学校の話題がメインかもしれないけど,外の世界を知るチャンスは昔よりははるかに多いと思う.
小説の話.
この小説は映画にもなったから読んだことはなくてもタイトルだけ聞いたことがあったり,映画は観たことがあったりする人は多いかもしれない.僕は映画の方は観ていないから,それと絡めた話はできないけど,小説のそれぞれの主人公の気持ちの表現はとてもよかったし共感しかなかった.ちなみに映画はいつか観ようとおもうけど小説の世界が好きでそれが上書きされてしまうのがいやだから,正直あまり気が進まない,
話の内容は高校2年生17歳のいわゆる青春というか思春期ど真ん中の感情をいくつかの登場人物の視点で描いている.この小説は朝井リョウが20歳のときに第22回小説すばる新人賞を受賞した作品だから,きっと朝井リョウが高校生のときの感情がそのまま込められた作品なんだろうな,と思いながら読んだ.
あらすじ,というかネタバレになってしまうけど,タイトルの桐島はいっさい出てこない.だからそれぞれの主人公が語る桐島についての話から桐島はどんな人なのか,と想像する楽しみがある.
桐島はバレー部のキャプテンでクラスの上位グループの梨沙の彼氏でさらに桐島自身も男子の上位グループのひとり.きっとイケメンで運動神経もいい.ただバレー部ではひとり熱量が大きくて部員が桐島についていけない場面も描かれているからきっと真面目な性格だと思う.
本を読み終わるとようやくタイトルの意味と桐島って本当に部活やめるのかな?という期待と不安が入り混じった余韻がのこる.
「大丈夫,お前はやり直せるよ.と桐島に言ってやろう.お前は俺と違って本気で立ち向かえるものに今まで立ち向かってきたんだから.そんなちっさなことで手放してしまったらもったいない,って,言ってやろう.」
朝井リョウ「桐島、部活やめるってよ」,集英社文庫 P209 – P210
これは菊池が前田と武文が好きなことに取り組んでいる姿をみて悟ったラストの場面.タイトル「桐島,部活やめるってよ」に対する答えがここにあると思う.桐島が部活にもどったかどうかは描かれていない.だからその結末は読者それぞれに委ねられていて,どうなったと思う?なんて言いながら読者それぞれに話のつづきを描けるのが面白い.
ちなみに僕は桐島は部活にもどって翌年の春の大会とかで活躍,みたいなストーリーだといいなと思う.ありきたりだけど.
この小説は高校をひとつの小さな世界ととらえている.
「本当は,世界はこんなにも広いのに,僕らはこの高校を世界のように感じて過ごしている.」
朝井リョウ「桐島、部活やめるってよ」,集英社文庫 P102
小説では上下関係はけっこう露骨に描かれていて,カーストの上位の人たちはみんないつも楽しそうだけど,けっきょく本当に好きなことを見つけてそれを本気でできる人になりたいよね,っていう気づきを与えてくれる小説だった.
「未来はどこまでも広がっている.違う,出発点から動いていないからそう見えるだけだ.」
朝井リョウ「桐島、部活やめるってよ」,集英社文庫 P.179
「俺達はまだ十七歳で,これからなんでもやりたいことができる,希望も夢もなんでも持っている,なんて言われるけど本当は違う.これからなんでも手に入れられる可能性のある手のひらがあるってだけで,今は空っぽなんだ.」
朝井リョウ「桐島、部活やめるってよ」,集英社文庫 P.184
こう言う菊池は捻くれている.そしてイライラしている.そのイライラの理由は上にも書いた前田と武文が映画という好きなことを見つけて本気で取り組んでいる姿をみて見つけることができる.
「一番怖かった.本気でやって,何もできない自分を知ることが.」
朝井リョウ「桐島、部活やめるってよ」,集英社文庫 P.209
高校生くらいのときは本気で何かに取り組む姿はなんとなくダサい,みたいな風潮があったと思う.もちろん時代は変わるから何十年も前の僕が高校生のときだけど.それはこの小説でも匂わせているけど「何もしないでできる人がすごい!かっこいい!」みたいな風潮があって努力でカバーすることはカッコ悪いみたいな感じだったと思う.
大人になった僕は,やっぱり何事も継続が大事で,時間を味方につけて特技を磨くことが素敵だと思えるようになった.だけどそれに気づけたのはやっぱり大人になってからで,高校生のときとか10代とか人生の早いうちにそれに気づけた人はきっととても幸せなことだと思う.
最後に前田と武文のやりとりでとても素敵な場面があるので紹介しておしまいにする.
今僕が見ること,聴くことのできる全てが,それぞれの目標に向かって生きているように思えた.それはとても美しいことだった.
「なんかやっぱりいいな,高校って」朝井リョウ「桐島、部活やめるってよ」,集英社文庫 P.122
あと,この小説は朝井リョウ出身地である岐阜の方言が心地よかった.
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